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小樽運河と小樽港の散策

2017/07/26 07:05
小樽運河は港湾施設が未熟な時代に掘ったものでは無くて海を埋め立て両側に石造りの倉庫を作り、貨物船から艀に移し運河まで運び陸揚げ又は積み込みをするために作られました、港の整備が進み不要な建築物として、埋め立てと保存の両方の議論がなされ結果的には半分を埋め立てして高速道路からの車輌が余市方面へのバイパス路と観光の散策路を作る事に落ち着き、駅前から降りた中央橋から浅草橋までが現在の小樽運河と呼ばれています、今回は運河の一部で埋め立てをされなかった部分(市の案内は北運河と呼ばれている)は昔の面影を残し観光の方が訪れる事が少ないので紹介をしてみます。

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築港臨海公園から見た新日本海フェリーターミナルビルに接岸のフェリー

運河公園から運河を右手に見て1周します、北運河(小樽運河の北側)です。
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運河と港の間の道を進み車が通っている橋は運河と海をつなぐ海路です、下の写真はその橋の上から突き当たりが運河で昔の石積みが見えます。

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右折して運河の橋を渡り従来の小樽運河と呼ばれている方向を見ています、中央に見える橋が小樽駅から降りた位置、左手に別な海路が見えてます。

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同じく橋の上から反対側の北運河を見ています、正面の白い船の船体の半分ほど運河が広くなつているのがわかりますか? そこから昔の幅になります。

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帰りのコースに入り、先ほど車が通っていた橋の向こうに港が見え、さらに前進して振り向くと先ほど運河を渡った橋が見えます、女船長さん頑張ってます。

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北運河の中央です、「カモメを呼ぶ少女」像のある橋です、中央付近から北運河を見ました幅はゆったりで波が立つ事も無く小舟を止めるのには最適、中央付近の瓦屋根の石倉のある処が運河公園で、そこまで歩くと1周になります。

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一周した北運河の側に立っていて再活用されている石造り倉庫です、一般的に柱と梁で骨格を組み屋根を支え壁に軟石を積み頑丈で火災に強い、暑さ寒さに強いと言われてますが石が完全に冷え切る寒冷期はさすがに寒い(^_^;


ここから小樽港散策です、
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北の海の守り神 第1管区海上保安本部の合同庁舎と巡視船と巡視艇です

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入港中のクルーズ船「ぱしふいっく びいなす」  6月30日撮影

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秋田港から旅したクルーズ船「にっぽん丸」が入港してました、角度を変えて小樽駅の正面から写してみました、さすが廻りのビルを圧倒します。7月6日撮影

最後まで見ていただきありがとうございます、暑中見舞い申し上げます。
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札幌・八紘学園の菖蒲園に行ってみました、

2017/07/15 07:12
同校は豊平区月寒にある1930年創立の農業専門学校でその中に菖蒲園があり開園と聞き行って見ました、札幌の中心街は外れていますが周辺は住宅地に囲まれた中に、広々とした農園と畜産の設備があります、写真でもわかる通りここが札幌市内なのと思う程に草地と森がありその一角に菖蒲園がありました、少し早い気もしますが花は咲き始めてその数はすごいものです。

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右手の建物で生徒達が育てた花などが販売され、観光客に混じり生徒達が草取り作業等をしていて許可をいただき畝の間に入り近くで見る事が出来ました

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広々とした草地があり、その向こうに市道が横切り、道路を渡り校舎・牛舎等もあり全部で63haの広さの様です、新鮮な野菜や牛乳等も販売されてました。

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近くに小川が流れ、駐車場の側に小さな沼があり蓮が花を咲かせていました。

いつもの公園で写したのを追加します、気の早いユリは咲いてても少し早い
様でした、今年の天候は異常で朝は晴でも一日中晴天は無くて湿気が多い。
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最後まで見ていただきありがとうございます。
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旧跡・日本郵船(株)小樽支店に行ってみた、

2017/07/08 07:35
この建物は北海道開拓の拠点都市として明治39年に完成して近世ヨーロッパ復興洋式の純石造建築です、竣工まもない明治39年ポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議がこの建物の2階会議室で行われ、会議終了後隣の貴賓室で両国委員が乾杯を交わしたという歴史的にも由緒のある建物です
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昭和30年小樽市の所有になり、途中保存修理をし建設当初の姿に戻し、運河の北端(北運河と呼ぶ)にあるこの建物の前を整備して運河公園となり、港作りに貢献したお2人の胸像と童話「赤い靴」モデルになった親子の像があります。

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横からアップするとこんな感じです。

 内部入ります。
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内部に入り1階の営業室の様子です、カウンター内部に机が並べられ、剥き出しでガッシリと木材で組まれた天井のレトロな雰囲気を感じて素敵です。

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1階から2階へ彫刻が施された階段を登ります。

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正面に両国の委員が乾杯した貴賓室が見られ、入りましたが重厚です。

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その隣が日露の国境画定会議が行われて会議室で、広さは約175u、天井は卵漆喰、3基のシャンデリア、アカンサス模様の金唐皮紙、7m×14mの大絨毯、大テーブルを36個椅子が取り囲み、広大な迫力のある空間となっています、5つの窓にかけられた華やかなレースカーテンを通して差し込む軟らかな光、天井の大胆な弧を描く装飾彫刻と中心飾りとの調和など、大きさの中に計画されたデザインが印象的です。(展示の説明を一部引用しました)。

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奥の食堂の場所ですが展示物があり菊のご紋が入った国境の印があります。

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2階の廊下を通り1階へ、何とも言えない日本には無い雰囲気です。

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1番奥に金庫室(照明無し)があ.るが盗まれたか何も入っていない(^_^;

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当時の大型船のモデルですがブリッヂなど小屋の様で古くさいですね。

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係員の部屋は支店長室なはずが受付の紙が、昔なら怒鳴られますぞ(笑い)

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支店長室の隣の応接間とペチカを見て古き時代を堪能しました。

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旧跡の前にある運河公園の入り口から見ています、すぐ向こうが港です。

後書き、明治18年三菱郵船汽船と共同運輸が合併により日本郵船(株)が設立と共に小樽支店を開設し、以来北方海運の拠点として小樽港を位置づけ世界に飛躍しました、市内の大火で被災したのを機に石造店舗を作った様です。

最後になりましたが九州始め水害に遭われた方々にお見舞い申し上げます、猛暑が続きます皆々様ご健康にはご留意下さい。













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小樽・旧青山別邸の庭が綺麗でした、

2017/07/01 07:55
明治から大正にかけ祝津のニシン漁の三大網元の一人の青山家が巨万の富を得て6年半の年月を掛け作られたニシン御殿の庭の牡丹と芍薬を見てきました、この庭は牡丹50種類400株、芍薬37種類300株が丹精をこめて育てられ色とりどりで豪華絢爛ですが時期的に芍薬の数が多かった様に感じます。

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ここが別邸と言われる由縁は、初代青山 留吉氏は山形県飽海郡遊佐町出身で北海道に渡り苦労を重ね財を成し郷土に錦を飾り本館を作り ここを別邸と呼ぶようです。ここの一画に和食レストラン・貴賓館としても営業しています。

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ニシン漁の盛んな1914年(大正3年)頃には青山家だけで年間1万石(7500t)の水揚げがあり今の価格に換算すると25億円に相当する様です、いかに羽振りが良かったかと思われます、保存技術や加工設備が貧弱で輸送手段が限定の昔でニシンから数の子や身欠きニシンをとり、下の釜で煮て魚滓を作ったのが化学肥料の無かった昔は農家の生産向上に寄与したと書かれています。
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後書き、一時は絶滅したと思われたニシンも春先に朝里の浜で産卵の兆候が見られ小樽沿岸でも小規模に獲れて食べられています、ただ日本海全体では無く石狩湾に住み着いた魚群の見方もあり、夢よもう一度と願うだけです。

最後まで見ていただきありがとうございます。
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